「ディー判事」の中国語版

先日、久しぶりに神田の内山書店をのぞいてみた。四大奇書などの古典小説で、香港の出版社による、繁体字・縦書きの版が増えているような気がした。ちょっと横の棚を見たら、「狄公案」のタイトルが目に入った。なんと、ヒューリックの推理小説、「ディー判事」(Judge Dee) シリーズの中国語版が揃っている。とりあえず、第一話にあたる(執筆順ではなく、物語の順序) 、『黄金奇案』 (The Chinese Gold Murders) を買ってみた。

気に入った小説の中国語版があったからといって、いちいち買うわけではないが、この本の場合は、舞台が「古代の中国」なので、中国語版を見てみたかった。

「古代の中国を舞台にした推理小説」としては、陳舜臣の「賀望東」ものがある。昔それを読んだ時に、たしか、先行する作品が西洋にあると書いてあったような気がするので、多分それが、「ディー判事」のことだったのではないかと思う。読んでみたいと思っていたが、実際に、ヒューリックとその作品について詳しいことを知ったのは、比較的最近である。以前にも、ブログでとりあげようと思ったのだが、「ディー判事」に関する話題は、いろいろなジャンルにとりとめもなく広がってしまうので、なかなか手をつけにくかった。

十八世紀の中国に、『狄公案』という小説があった。作者の名は知られていない。日本の「大岡政談」などとよく似た、「公案小説」というジャンルに属する作品だが、現代の読者の目からみても、推理小説として完成度が高い。探偵役は狄仁傑という名裁判官で、つまり大岡越前にあたるわけだが、馬栄・喬泰という腕っぷしのつよい二人組をひきつれているところや、変装して捜査にあたるところなど、水戸黄門も少し入っている感じがする。

ヒューリックは、まずこの小説を英訳し、ついで、その作品世界を継承しつつ、現代の推理小説らしいプロットをとりいれて「ディー判事」シリーズを創作した。「ディー判事」すなわち狄仁傑は則天武后の時代に実在した人物だが、背景は必ずしもその時代のものではなく、意図的なアナクロニズムを含んでいる。

このシリーズ、日本では巻ごとに訳者や出版社がばらばらで、なかなか全貌がわからなかったようだが、最近、ハヤカワのポケミスが新訳で刊行にのりだした。ただ、未訳のものを優先しているので、第一話は現時点で未刊。

今回買った中国語版は、陳海東訳、臉譜出版(台北)、 2000年初版 (ISBN:957-469-172-1)。シリーズ名を昔の小説と同じ「狄公案」とし、すでに全16作が揃っているようだ。

この小説を日本語に訳す場合、一般の英米小説として訳すか、時代小説風に訳すかで、ずいぶん違ったものになりうる。Metropolitan Court は「首都裁判所」でいいのか、など、考え出すときりがない。中国語ではどうだろうか。ページをめくってみると、どうもこの翻訳は、「雰囲気盛り上げ派」のようだ。十八世紀の『狄公案』の文体に似せようとしている感じがするし、なにしろ、章回小説らしくするために、章の切れ目をずらすことまでしている。

いきなり「大唐高宗龍朔年間」などと、原文に全然ないフレーズではじまり(原著は本文の中では年代を特定していない)、パラグラフを入れ替えたりしているので、これは相当な「翻案」かと思ったが、あとの方はそれほどでもない。講談調といっていいものかどうかわからないが、昔の小説に出てきそうな常套句を多用した、こなれた訳になっていて、原書といったりきたりして比較しはじめると、飽きない。

固有名詞では、舞台となる架空の都市の名 Peng-lai が「蓬莱」になっている。これは、著者自筆の地図に「平来」とあるのだが、そこのところも差し替えてある。高麗人の娘 Yü-soo は『棠陰比事』にある人名「玉素」が出典ではないかと思うが、「玉姝」になっている。漢代の名裁判官 Judge Yü は「于公」かと思うが、「郁公」になっている。

著者自身によるイラストは省略され、図版は地図のみ。

中国語訳としては、これが最初ではないかもしれない。1993年に中国で出版された(オリジナルの)『狄公案』の「あとがき」には、「ヒューリックの小説が翻訳やテレビで中国に広まっているので、(その元ネタである)この本を出版することに意義がある」といった意味のことが書いてある。

Gulik に関する情報をまとめた Orientalist's Terrarium の R.H.Van Gulik Area によると、中国でのドラマ化は 1998年にかなりまとまったものが作られている。

原書は、THE UNIVERSITY OF CHICAGO PRESS から、ペーパーバックで出ている。

The Chinese Gold Murders (Judge Dee Mysteries)

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